
時間やお金を考えず、ただいいものを追及する。こうしてつくられたのが、北徳の衣裳です。残念ながら、今の私たちの時代でつくるのは、非常に困難です。北徳の衣裳は、綾婆[(株)北徳 先代会長 鎌田綾子]や御爺[※竹屋町縫職人 故 石黒縫吉斎師]の頃のような古き良き時代が生んでくれた遺産なのです。
1年という長い時間をかけてつくられた、一着の衣裳。そこに、綾婆と御爺の想いがどれほど込められているのか…。北徳の衣裳には、そんな職人たちが生んだ「温もり」がある。生まれてから今日までの歴史がある。だから、私たちは真新しいもの、斬新なデザインを追い求めるのではなく、先人が生んだ温もりや美しさを、守っていきたいと思います。 感謝の気持ちをこめて。 そして、その温もりに新たな歴史を刻んでくれる幸せなお二人の思いも、大切にしたいと思っています。


「竹屋町縫」とは、京都の竹屋町通を発祥とすると言われる刺繍の一種であり、平金糸、平銀糸、色糸等を用いて下絵や文様の指図に従って、糸をねじることなく縫いながら柄をつくる、非常に高度な技術を要する刺繍です。刺繍の目が細かい為、柄の立体感がひときわ際立っています。 今では、全国でも職人が非常に少ないため、希少価値は極めて高いとされています。また商品としては、そのほとんどが「打敷」「御袈裟」等に部分的に施されているものなのですが、北徳の打掛には長い年月をかけ総刺繍で描かれており、現在ではつくることが極めて困難なものです。いわば古き良き時代が生んでくれた遺産、自信を持ってお勧めします。

常磐衣とは、平安時代末期の美女で源義経の母である常磐御前が着用していたもので、歌舞伎では「吉野山」の静御前、「宗清」の常磐御前などがその姿です。格式高く、高貴な印象をうけます。赤綸子の掛下とあわせ、花婿様を織物の紋服姿にされるのがお勧めの姿です。

小袿とは、平安時代以降の位の高い女官の礼装で、本来は単衣(ひとえぎぬ)に緋の袴をはき、袿(うちき)を重ねた上に着用するもので、いわば、十二単を簡素化した姿です。十二単ほど見た目も重くないですし、花婿様の紋服ともあいますので、お二人の個性を損なわず、披露宴(食事の場所)の雰囲気にもあった姿です。赤綸子や朱鷺綸子の掛下とあわせれば、古風で格調高い印象になります。

平安時代の「無袖短衣」を起源とし、江戸時代にいたり武士の礼装となった姿。北徳は、花嫁様、花婿様、お二人一組の姿が非常に大切だと考えています。紋服のバリエーションに加え、「花婿様の色直し」をご提案します。

日本舞踊や歌舞伎には、「早替わり」という演出があります。その名の通り演者が素早く、短時間で役柄や姿を替わるという演出です。長年舞台衣裳を手掛けてきた北徳は、披露宴においても、列席された大切なお客様を待たせることなく、お色直しを楽しんでいただけます。ご希望の方はお申し付けください。
その他、常識にとらわれず「こんな姿をしてみたい…」という意見もお聞かせください。お二人と一緒に創造し、 よりオリジナリティある姿をつくっていきたいと考えています。